作詞家になりたくて

歌になりたがっている詞があります。 
言葉たちが一瞬でも輝やいてくれますように!

「我慢」と「自慢」

北海道に台風が近づいています。
風も強くなり始めました。
気圧の加減でしょうか、頭が痛くって仕方がありません。
さて、今回は「我慢」と「自慢」について。
我慢の元の意味は「我をおごって誇り、他を軽んじて従わないこと」とされていました。しかし、現代では意味が変わり、耐え忍ぶこととなってしまいました。
元々は仏教用語で、七慢の一つです。
七慢とは、慢、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、卑慢、邪慢の七つ。
我慢は自分がえらいと思いあがる意味でしたが、少しぐらい自分の考えに無理があるとわかっていても、意地で主張を押し通すようすへと意味が変化します。さらに、主張を押し通してしまうことから、肉体的にも、精神的にも苦しくても、凌ぎ遠し、弱音や文句を言わないことに変わってきます。
どちらかと言うと、相手に対して高圧的な態度で、「今回は我慢してやる」のように「今回は大目に見てやる」のような意味で用いられていきます。そして、現在は、耐え忍ぶ様子に変わってしまいました。
「卑慢」とは他人のほうがはるかに優れているのに、自分は少ししか劣っていないと思うこと。「邪慢」とは、自分には徳がないのに徳があるように見せること。
いますね、そういう人。
中身のない政治家。邪慢だわ~。
「我慢」「傲慢」「自慢」「高慢」「慢心」
 なんにせよ、「慢」の付く言葉は悪いことのほうが多い。
「思い上がり」はいけません。
たとえ自分より劣っている他人に対しても思いあがっていては「慢」の状態といえます。


「自慢」も控えましょうか。自慢ばかりする人がいました。結局、誰も近づかない人になりました。
自慢になるかどうかわかりませんが、自虐的に自慢する人もいます。「私って童顔だから、年相応に見られなくって」とか、「今の彼って束縛しすぎて疲れちゃって」なんて、不孝自慢。これもちょっとやめてほしい。
適当に相槌打って別の話題にさりげなく切り替えましょうね。
自慢すると、そこからは「妬み」「嫉み」が生まれてしまいます。それはとても厄介な感情です。
「謙虚に」そして「自分を高めるための我慢を」「他人を思いやる我慢を」
自慢もほどほどに。得意なことは「まだまだですよ」と控えめに言う方が、評価が上がるはず。
「慢心は山の如く、欲心は海よりも深し」と書物にあります。人は煩悩の塊ですから仕方ありません。でも努力はしたいですね。
説教じみてしまいました。反省。
それではまた。

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