作詞家になりたくて

歌になりたがっている詞があります。 
言葉たちが一瞬でも輝やいてくれますように!

「函館」北海道地名散歩

青函トンネルが貫通したのが昭和60年(1985年)。JR津軽海峡線が通り、北海道新幹線が函館までたどり着きました。
もう北海道と本州は陸続き。
それまでは青函連絡船が本州と北海道をつないでいました。
津軽海峡冬景色の時代。青森でフェリーに乗り換え津軽海峡を渡り、函館まで。函館でまた乗り換えて札幌まで。大変でした。

初めて本州へ行ったのは中学2年生の修学旅行。青森県の十和田湖や奥入瀬へ。
連絡船はカーペットが敷いてあるだけの3等席。
バスガイドさんが「りんごの歌」を青森弁で歌っていました。
『真っ赤なりんごっこに ほっぺたこくっづけて だまあってみでいる青い空こ りんごっこは何にもしゃべらねけれど りんごっこの気持ちこは えぐわがる りんごっこ めごいや めごいや りんごっこ~』
今や、1時間ほどで函館青森を行き来できる時代になりました。


さて、その昔、アイヌの人達は函館を「ウショロ・ケシ」(ウス・ロ・ケシ)入り江の末端と言う意味で呼ばれていました。1454年豪商の河野政通さんがここにわたり、館を建てたのですが、箱の形をしていたところから箱館と呼ばれました。
江戸末期、ペリーの黒船がやってきます。
幕府は下田と箱館を開港場として海外と通商条約を結んで行き、箱館は異国情緒溢れる港町になってゆくのです。
箱館が函館になるのは明治維新以後です。
幕府により五稜郭も建造されました。五稜郭は箱館戦争の舞台となりました。新選組の土方歳三が死んだのも明治二年(1869年)5月。箱館戦争でした。
毎年5月18日前後の土曜と日曜日には五稜郭祭が行われ、その歴史を語り継いでいます。


平成22年には、箱館奉行所が復現され五稜郭公園で見ることができます。
幕府の奉行所から新政府の箱館府庁舎になり、榎本武揚が樹立した蝦夷島臨時政権の拠点として使われた建物です。
函館と言えば、函館の町を一望する函館山。夜景で有名ですね。
そして、函館の朝市。風情ある坂道の風景。
トラピスト修道院。
観光するのも一日では足りないくらいです。


おいしいものもたくさんあります。
ラッキーピエロは有名。カールレイモンのソーセージ。洋食の五島軒。スナッフルスのチーズケーキ。
やっぱり私くらいの年代になるとお寿司でしょうか。北海道の回転寿司店はちょっと違いますよ。ネタの大きさ。新鮮さ。驚きますよ。全国チェーン店以外の回転寿司店にぜひ行ってくださいね。


長くなりました。
ではまた。

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