作詞家になりたくて

歌になりたがっている詞があります。 
言葉たちが一瞬でも輝やいてくれますように!

「長沼町」<北海道・地名散歩>

今回は札幌近郊の長沼町のご紹介をしたいと思います。


空知郡長沼町。札幌から1時間弱。石狩平野の東側。田園風景が広がる農業の町です。
名前の由来はアイヌ語「タンネ・トー」から付きました。訳すると「長い・沼」です。
かつて旧夕張川の川筋が二つに分かれ大きな沼になっていました。「タンネ・トー」と「ラウン・トー」長い沼と深い沼の二つです。松浦武四郎(江戸末期、北海道を探検し、北海道の名付け親として知られています)の『夕張日誌』にタンネ・トーについて「巾六、七丁、長さ一里余」とあるのでその大きさが推し量られます。明治二十五年(1892年)岩手県からこの地に入植した吉川鉄之助さんが開墾に精を出し、北海道庁からその努力を認められて「吉川村」にしてはどうか、と勧められましたが、吉川さんは固辞して、タンネ・トーにちなんで「長沼」と称することにしたそうです。
この長沼町に面白いお話が伝わっています。
「昔、沼に人魚が住み着いているという噂がたちました。髪が長く美しい女性の姿をして尾ひれがついている人魚。男性の姿を見ると沼に飛び込み姿を隠してしまう、というものでした。ある時、重次郎と言う若者がどうしてもその姿を見たくて、毎日毎日、沼の畔を歩きまわり、一目見ようとしましたが、見ることはできませんでした。そのうち人魚の正体は大きなカワウソだったのではないか、ということになり、噂もたち消えてしまいました。」
この噂を流し、振りまいたのは、村の長老で、開拓地の生活はつらく、若者には嫁が来るあてもままならず、一時の夢を与えたくて噂話を振りまいたのだというのです。
今や道内有数の田園に変貌し、穀倉地帯となりました。開拓当時の切ない先人たちの物語です。


長沼町の東、由仁町との境に馬追丘陵があります。そこにあるハイジ牧場。
子どもたちが小さいころ、良く行きました。
ウサギや羊やヤギやポニーもいます。
夏休み、雄大な石狩平野を眺めて、子供たちは動物と友達に、親は少しの間リフレッシュに。懐かしい思い出です。
その馬追丘陵に今は、地場産食材を生かしたレストランやカフェができて、たまに訪れます。
お財布に余裕がある時はジンギスカンを買って帰ります。
特製の「タレ」につけたジンギスカンはおいしい。
(私のご近所でも売っています。私の家は「タレ」派)


最後に長沼町で製作した映像をご覧ください。
きっと、北海道にきてみたくなる。(笑)
では、また。

長沼STYLE

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