作詞家になりたくて

歌になりたがっている詞があります。 
言葉たちが一瞬でも輝やいてくれますように!

太陽のように

太陽のように輝く母よ
あなたの愛は光のように
私達を照らし続ける


悲しみに揺れる切ない時も
あなたの声は私の胸に
赤く燃える灯りをともす


生命の奥の深い場所で
つながっているのですね
あなたの両手に抱かれた夜に
私は泣き止み安らかに
眠ることができるのです


太陽のように愛した母よ
あなたの夢は私の成長
空を見上げ何度も祈る


人生は長く嵐の日にも
あなたは笑いひたすら前を
向いて歩き乗り越えてきた



太陽のように明るい母よ
あなたの祈りあなたの誓い
私達を守り続ける


喜びに湧いた節目の日にも
あなたは泣いて祝ってくれた
そんな母よ 幸せになれ


生命をつなぐ強い絆
つながっているのですね
あなたの言葉が力になって
自分の命を大切に
できる人に育つのです


太陽のように煌めく母よ
あなたの愛は光になって
私達を包み続ける


人生は長い坂道だけど
あなたは笑い弱音を吐かず
志しを貫いてきた



太陽のように
輝く母よ

*2018年1月7日作詞


新聞のコラム記事が題材です。
「静岡県に住む95歳のはるみおばあちゃんは、元助産師さん。14歳で東京の看護学校に入り、19歳で助産師の資格を取った。戦争の足音が聞こえてきたころ父の電報により帰郷する。
村には50人を超える結核患者がいた。はるみさんは薬を背負い明かりのない山を越え、台風で横殴りの雨の中、洞窟でしのいだこともあった。終戦後父も結核に。抗生物質がない時代。幼子が死に、老人が死に、誰も手を貸さない人を見取り、畳をはがし消毒もした。10年、看病した父も逝った。命のはかなさ、人間の無力さに打ちのめされた。しかし40歳のとき、再び上京、多くの母子の命のドラマを見てきた。壮絶な陣痛に耐えて新しい命を生む母親の姿。その内面に輝く命に限界はないと確信した。
自分のことは後回しに生きて、50歳で結婚。晩婚。子供はいないが甥や姪に慕われて、68歳まで分娩室に、頸椎損傷の痛み止め注射を打ちながら、取り上げた命は1500人を数えた。
帰郷してからも町の依頼で検診車に乗り、町内を駆けまわった。
95歳のはるみおばあちゃんの珠玉の言葉。
『私には人生の師匠から教わった言葉があるんです。《母は太陽。》お母さんは赤ちゃんの太陽です。お母さんが太陽でいれば、それでいいんです。赤ちゃんは言葉を理解できなくっても、すでに気持ちを理解できてます。感性が豊かなの。だから話しかけてください。たくさんの優しい言葉で、赤ちゃんの生命を丸ごと包んでほしいんです。そうすると、赤ちゃんは自分の命を大切にする子に育ちます。そして人にやさしくできるんです。お母さんの言葉には、その力があるんでよ。』
取材中の記者は手をよくさする、はるみさんに訳を尋ねると「頑張った手を褒めてやってんの。」という答えが。後でご家族に聞くと、手根管症候群を患っているとのこと。痺れて痛いとは言わずに笑顔の答えだった。」


大先輩の確かな体験と確信は、今の私達に勇気をくれます。
長いコメントになりました。
感動したので、つい。


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