作詞家になりたくて

歌になりたがっている詞があります。 
言葉たちが一瞬でも輝やいてくれますように!

「以徳報徳」「以徳報怨」

ちーさんのブログ記事に二宮金次郎さんの銅像がありました。銅板には「以徳報徳」と書かれていました。何それ?


気になって、調べると、二宮金次郎さんこと二宮尊徳さん、「報徳」を言い続けた方でした。勤勉とは徳に報いること、だと。
「以徳報徳」は孔子の「論語」にあります。
<漢文>
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳。
<読み>
或(あ)るひとの曰わく、徳を以(もっ)て怨(うら)みに報いば、何如(いかん)。子曰わく、何を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。


今風に言うならば<居酒屋にて>
会社の同僚と居酒屋で。
同僚「孔ちゃんさ、嫌な奴を怨んでばっかじゃ、ダメだと思うんだ。だからさ、少しは褒めてやったらどうかと、思うんだけど、どうよ?」
孔ちゃん「まあ、いいんじゃね。ちょっと、えらそうだけどよ。良いことされたら、お前はどうやって、相手に返すわけ?俺はいじめられたら『誠実』ってやつで見返してやるさ。もちろん、お世話になった人なら、ちゃんとお世話してやらなきゃな。」


こんな感じ?
「怨みには徳で報いる」
「怨みには正直で報いる」
「徳には徳で報いる」


孔子さんは、怨みに対して徳で返すことは、ちょっとやそっとではできないな~と、言うようなニュアンス。
孔子さんの言う「直き」とは何かですよね。
「誠実」又は「正直」と言い換えましたがこれはいったい何?
例えば自分の親が犯罪に巻き込まれ命を落としたとしたら、どうする?きちんと、裁判を起こして、正々堂々、犯人を裁かなきゃダメでしょ!ということじゃないかな、と思います。目には目、と言うような「やられたらやり返す」のではなく、きちんとしたルールの下で正々堂々と報復しなきゃ「不孝」だし、「怨み」を簡単に水に流してしまうのはちょっと違うぞ、と。
 目には目と言う教えではいつまでたっても悪意の連鎖は終わらない。断ち切るための「法律」こそ大事。


「徳には徳」はあたりまえ。「恩には恩」で返すのが当然ですよね。


「以直報怨」これこそが、難問。
少し考えさせられた疑問でした。


ではまた。

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