作詞家になりたくて

歌になりたがっている詞があります。 
言葉たちが一瞬でも輝やいてくれますように!

「泥流地帯」三浦綾子 著(北海道地名散歩「上富良野町」)

上富良野町が舞台の小説です。
富良野は「北の国から」ですでに有名です。
富良野とつく自治体は旭川からたどると、上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町と4市町あります。
富良野の地名はアイヌ語から。
フラ・ヌ・イ(臭い・を持つ・所)から、富良野となりました。
旭川、美瑛、そして上富良野と北から南へとたどってゆきます。上富良野町の東側は山岳地帯となっていて、北海道のほぼ中心、大雪山、トムラウシ山、そして十勝岳が聳えています。十勝岳は活火山。今なお噴煙が見られます。
1926年、大正15年の5月に起こった噴火、爆発によって発生した泥流で被害を受けた上富良野の人々の物語が「泥流地帯」です。
三浦綾子さんといえば「氷点」で文学界に現れました。「塩狩峠」や「細川ガラシャ婦人」など名作を書いています。


物語の主人公は石村耕作と兄の拓一。
開拓農家の石村家を取り巻く人々の物語です。当時の人々は貧しい。貧しいけれど石村家の家族はまじめに、生きている。正直に生きている。しかし、噴火による泥流被害が彼らをどん底へと追いやる。
拓一も耕作も頭が良くて、まじめな青少年。
父が事故でなくなり、母は札幌へ髪結いの仕事をしに出稼ぎをしていて、帰ってこない。祖父、祖母、姉の富、妹の良子の6人でそまつな家で暮らしている。
「泥流地帯」では、そんな石村家の日々の出来事を兄弟の目から、生き生きと見つめている。火山の噴火と泥流までの日々を鮮やかに語ってゆきます。
そして、「続・泥流地帯」で復興の様子を綴ってゆきます。


昭和51年に北海道新聞の日曜版に連載された小説でした。日曜版は新聞2枚ほどで、コラム記事や特集記事などが書かれていました。この小説は丸ごと紙面一面に、毎週掲載されていました。当時中学生の私は、日曜が来るのが楽しみでした。(歳がばれる)


小説の最後に耕作は兄に問いかけます。
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「なあ、兄ちゃん。まじめに生きている者が、どうしてひどい目にあって死ぬんだべな」
と、先ほどの言葉を繰り返した。
「わからんな。俺にも」
「こんな、むごたらしい死に方をするなんて‥‥まじめに生きていても、馬鹿臭いようなもんだな」
「‥‥‥そうか、馬鹿臭いか」
拓一はじっと耕作を見て、
「俺はな耕作、あのまま泥流の中で俺が死んだとしても、馬鹿臭かったとは思わんぞ。
もう一度生まれ変わったとしても、俺はやっぱりまじめに生きるつもりだぞ」
「‥‥‥」
「じっちゃんだって、ばっちゃんだって、俺とおんなじ気持ちだべ。おそらく馬鹿臭いとは思わんべ。生まれ変わったら、遊んで暮らそうとか、なまずるく暮らそうなどとは思わんべな」
耕作は黙ってうなずいた。
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ここに三浦綾子の神髄があります。
ただひたむきな、正直に生きるものの苦悩が写しだされます。


この小説のもう一つの魅力。
兄弟それぞれの恋のゆくえ。
愛することの切なさ。
異性への愛もさることながら、親や家族への慈愛。
拓一も耕作も今で言う「イケメン」な兄弟なのでモテる。私も拓一に恋をしていました。
正直で、優しくて、力強くイケメン。
こんな人はいないだろうな。
「泥流地帯」は「北の国から」の原点を見る思いです。
上富良野町のPVがありましたので載せておきます。
それではまた。

「歴史を訪ねて」

「上富良野町のご紹介」(ナレーションなし)

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