作詞家になりたくて

歌になりたがっている詞があります。 
言葉たちが一瞬でも輝やいてくれますように!

「奥尻島」あれから25年~

25年前の平成5年7月12日の午後10時17分に、その地震は起こりました。
北海道南西沖地震。
北緯42度47分、東経139度12分の北海道の南西沖の日本海で、震源の深さ34キロメートル、マグニチュードは7.8という大地震でした。近くの奥尻島は震度6でしたが、突然の揺れに島民は驚き、逃げまどいました。そしてなんと3分後には津波の第一波が来襲し、島の北側の稲穂地区、南端の青苗地区、西側の藻内地区などを一気に襲いました。家屋の倒壊、地割れ、がけ崩れ、液状化現象が起こり、大津波警報が発令されたときには最大約30メートルの大津波が押し寄せました。青苗地区は三方が海に囲まれているために震源方向からの波や、島を回り込んできた波、本土の北海道から反射してきた波など複雑に津波が押し寄せました。火災が発生して、190棟が焼失しました。
翌朝のテレビの映像は、ひどいものでした。
アナウンサーの声が今も蘇ります。
「青苗地区は壊滅状態です!」


25年前は実家の母も元気でした。
石狩市の北にある厚田地区の海沿いの家に一人暮らしをしていました。日本海側に広範囲で津波警報が出ていましたから、心配でした。
安否を確認しようにも電話は通じません。あとから聞くと、近所の消防団の方たちが世話をしてくれて、津波の避難に高台へ行ったそうです。ほんとによかった。


5年後の平成10年に奥尻町は「完全復活宣言」を発表しました。
復興に5年かかりました。


青苗には奥尻島津波館ができ、地震災害記録の展示や、映像ホールでは災害時の映像を見ることができます。
災害は忘れてはいけないと思います。
災害はいつ襲ってくるかわかりません。先々の用心は怠りなく。


奥尻はアイヌ語で「イクシュン・シリ」(向こう側の・島)から奥尻になったそうです。
奥尻地区の鍋釣岩は、奇岩ですね。
こんな形の岩があるとは、不思議です。


今回の豪雨災害のニュースを見るにつけ、心が痛みます。くれぐれも体調を崩されないように、想いを馳せています。


それではまた。

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